移住な女
神奈川県厚木市から、山梨県北都留郡丹波山村へ引っ越してきたのは2018年4月15日。
それまでは派遣会社の社員として神奈川県厚木市の企業で勤務していました。
英訳し、海外向けの取扱説明書を作成する毎日を丸11年。
休みたい時は休み、長期休みには旅行し、納期がキツければ「キツいっす」と素直に言える、とても恵まれている職場でした。
でも、半年後も1年後も何となくは想像できる。
そりゃ、日々のいろいろはあるけれど、でも、想像はできる。
それはそれで良いことなのだろうけど。
バツイチ、子なし、41歳、元保護猫2匹と暮らしている私。
私以外のみんながうらやましくて仕方なかった。
「何で私はこうなんだろな」とため息。
隣の芝はいつも青々としていました。
だからって何をどうしたもんかなと毎日を過ごしていたある秋の朝、自転車を漕いで会社へ向かっていた時に「仕事辞めよ」とふと思った。
会社へ行くのは全然嫌じゃない。
むしろ、仕事は好きだ。職場の人達も好き。
でも、辞めようと思った。
自転車を漕ぎながら、口に出してみた。
「仕事辞めよ」
で、辞めることにした。
じゃ、次の仕事は何をするかな。
毎日、求人情報を見て未来の自分を想像してみる。
家族は私と猫2匹。猫達と暮らせる場所が確保できればそれでいい。
離婚した時「誰も知らない所へ行って暮らすんだ。新しい人生を始めるんだ」と知らない土地でどんな風に生活を立てればいいかなと妄想していた時(ただの現実逃避なので妄想だけで終わった。笑)、「地域おこし協力隊になる」と移住した友人に会いに行った事がありました。
それからずっと、こんな人生もあるのだなぁと心に残っていたんですよね。
いろいろ検討して、地域おこし協力隊になるという結論にたどり着きました。
友人は「どの村でもいいと思う。ただこんな仕事もあるんだよ」と教えてくれました。
でも、私は彼女が居る村を選んだ。
ここなら自分のやりたい方法で地域おこしができるから。
イチから自分のアイデアを使えるなんて!大変だろうけど、すごく楽しそう!!
想像するとワクワクしました。人生においてワクワクは大切です。
村役場に「もし採用してもらえたら猫達と移住になるのですが、面接させてもらってもいいですか?」と問い合わせた所、
採用になった場合は猫達と住めるおうちを用意してくれるとの事。
ありがたい。
猫達のおうち問題がクリアし、私の心も決まったので、両親に報告。
「仕事辞めて地域おこし協力隊になることにした。面接受かったら山梨県の丹波山村って所に引っ越すね」
父も母も「ふーん。そうなんだ。ま、やらせてもらえるなら精一杯頑張りなよ」「で、丹波山村ってどこなの?」
うちの両親はいつもそうです。
理由があれば反対もされますが、基本的には私がやりたいということに反対しない。
私が反対されても聞かないことを知っているからかもだけど。
いつも「あんたの人生なんだから好きにしたらいい。どうしても無理だったら帰ってくればいい」と言ってくれます。
帰る場所がある。
それだけで安心します。
脇汗びっちょりの面接を経て、結果は合格。
うおー。良かったー。
私と猫達の為に平屋の一軒家を用意してもらえました。
そして、ずっと興味のあった発酵食品で地域おこしができることになりました。
そんなこんなで丹波山村へお引っ越し。
丹波山村での暮らしが始まりました。
地域おこし協力隊の任期は最長3年。
3年間で何ができるかな。3年後の私はどうなっているのかな。
私の人生の中で、すんごい3年間になるだろうという予感。
発酵食品で村おこし。はてさてどうなるか?
そういえば、最近、周りの友達と自分を比べて落ち込んだという記憶がないな。
友達の人生は友達のもの。私の人生は私のもの。
心の友に「幸せは自分の中にあるものなのに、自分の外に出せないものを、人に任せちゃだめだよ。人任せにしたら、いつも足りなくなっちゃうよ」と言われたことを思い出した。
やはり、この選択は正解だったな。
新しい毎日に感謝します。
どうぞよろしくお願いします。